知る旅、感じる旅…蘇州有情
明清文化の中心、水の都蘇州は文人士大夫文化の香りを残す街。
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TOPメールマガジン>「蘇州有情」第118号記事抜粋


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    ☆ 蘇 州 有 情 ☆            第118号 2006/12/8

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◆ 蘇州の匠〜中国古建築の影武者「香山幇」
  http://china-yuyuclub.com/szinfo/museum/sz_museum.html
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男は両手に筆を持ち、柱にすらすらと同時に双龍を描いた。
その妙技に驚いた官吏は、男に名前を尋ねた。
曰く、「香山匠人」

あえて自らの名前を名乗らなかったのは、蘇州匠としての誇りである。

蘇州にお住まいの方なら、何度か
「香山幇/xiang shan bang/」の名前を
お聞きになったことはあるだろう。
蘇州が誇る建築の匠グループだ。

今日は、彼らの英知、気骨を伝える
当地ではよく知られているストーリーをいくつかご紹介する。

正史に伝えて曰く。
明朝永楽15年、
双龍を描いた萠(萠にリットウ)祥(以下、カイショウ)は
明朝故宮建設の「営繕所丞」に任ぜられた。
今で言うなら建築総監督というところか。
カイショウは故郷から3万人の匠を伴い、
その技術の高さで「香山匠人」の名声を大いに高らしめた。

カイショウは皇帝に認められ信頼されたが、
中国の伝統的な官界の「習い」として嫉妬の対象となった。

故宮の泰和殿、中和殿、保和殿の三殿の建築を命じられ、
工部の陳侍郎が木材の調達を担ったが、
わざと大殿の中心となる大黒柱の長さを1尺短くした。

設計図どおりに施行すれば、宮殿はそのとおりにはならず
君を欺いたとして、打ち首。
あらためて新しく材料を購入するとなれば工期は遅延し、やはり打ち首。
しかしカイショウは何事も言わず、工事を進め完成させた。

彼はこの難関をいかに克服したのか。
勇壮たる外観も、高さもなにも変わりはない。

皇帝が見るに、
紅色に塗られた柱の下には鼓の形をした石盤があるのみ。
カイショウ曰く、
「この石鼓は蘇州の金山石と申します。
金山石は石の中の王たるもの。
陛下の天下が磐石であることと同様でございます。」
こう言われれば、皇帝、喜ばないわけがない。

工部の陳侍郎のいやがらせは続く。
ある朝、部下がまたあわてて飛び込んできた。
「ミャンマーから献上された泰和殿の門檻となる巨木が
昨夜何者かに切られ、使い物にならなくなってしまいました…」
これを見たカイショウは、大胆にもさらに切り落とした。

泰和殿が完成した。くだんの門檻、欠けても短くもなっていない。
皇帝が門に近づくと、カイショウはこう語った。
「これは“双龍吐珠活路門檻”と申します。
これからは、陛下が通られる時はいつなんどきでも取り外し
ご不自由なくお進みになることができます。」

門檻の上にある兜のようなものはと尋ねられると
「これは金剛腿と申します。金剛は四天大神。
陛下をお守りいたします。」
皇帝、破顔一笑。官を賜った。

「香山匠人」の大半は、正史には何も名を残してなどいない。
彼らが残したのは、故宮であり、数ある古典庭園のみだ。

今世界遺産に指定されている蘇州の古典庭園も
香山幇の末裔たちが修復したもの。
清末期からの動乱、日中戦争、文化大革命で
古典庭園は荒廃を極めた。

代々香山幇の匠の家に生まれた薛福金も
動乱の時代を生き抜き、
古典庭園を護り、修復の指揮を執った一人だ。

1966年、若き日の薛福金。
大字報に天津の紅衛兵が南下。
蘇州の四旧を、蒼浪亭を、五百名賢祠を打ち壊すと張り出された。

蘇州の紅衛兵は、古典庭園には多かれ少なかれ子供時代から
親しんでおり、壊すにしのびず、わざと見逃していた。
しかし他地区の紅衛兵にとっては、なんら愛着もない。

今度は面倒だ。
天津の紅衛兵であり、しかも打ちこわしは明日という。
蒼浪亭は宋代に建築された残存する最古の庭園であり、
五百名賢祠は600名近い蘇州の賢人を彫った重要な文化財だ。

夜半、彼は腕のいい左官を10人従え、蒼浪亭に忍び込み、
五百名賢祠の石版を注意深く紙で全て覆い、その上から
石灰を塗り、さらには革命のスローガンを張り詰め、
祠内にはゴミを山積みにした。

翌日駆けつけた天津の紅衛兵たちに、
ちょうど通りかかった通行人を装い、なにげに一言。
「あれあれ。来るのが遅すぎるよ。とっくに壊されてるさ。」

文革が終わった後、市政府からの依頼を受け、
薛福金は心血を注いで、蘇州の各庭園の修復に携わった。

1979年、トウショウヘイが訪米した際、
アメリカのメトロポリタン美術館に中国庭園を建設することが決まる。
中米外交のかなめとしての重要な建築でもあった。
その設計は前回ご紹介した蘇州博物館新館を設計した貝律銘。
現場を指揮したのは、蘇州香山幇、薛福金。

貝律銘はしばしば、工事現場で
多くは語らないが、
時折、端的かつ厳格に指示を与える薛福金の姿を見る。

すぐれた設計図の実現は、優秀な匠が存在すればこそだ。
貝律銘は薛福金の技術、統率力を高く評価していた。
望めばアメリカで新たな展開を求めることもできた。

落成式を無事終えた薛福金は
さわやかな笑顔で仲間に呼びかけた。

「さあ、蘇州に帰ろう!」

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◆ 杏本淡ーanpontan
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□香山幇の末裔は今も、古典庭園の建造、修復で名高く、
旧市街でおなじみの古式ゆかしいバス停も彼らの手によります。

ただ、こだわりの度合いがかつてに、ほど遠い。

そもそも蘇州の古典庭園と言うのは
文化芸術で当代一流の教養があった園主の
美学、哲学、精神性の結晶であり、
実は秘密のコードに満ち満ちているもんなんですが、
現在の匠の多くは知らない方が多い。

造形にも、色合いにもこりこりのこだわりが
あったのですが、あんまりおかまいなし^^;)

で、ここに、これはまずいだろう…。
と絶句してしまうこと。よくあります(; ̄ー ̄A。

ま、この状況は香山幇だけでなく、
他分野の工芸師にもよくあることなんですが。

今の時代は、まだ中国人は時代の流れに翻弄され、
時代に乗ろうと浮き足立っているからとは、中国人自らがよく語ること。
ただどんな動乱の時代にも、
自分のあり方を貫いた人っていうのはいるから、
そんなに心配していないとも言う。

ん、それもわかるなあ。

振り返れば、いつの時代、どちらのお国でも
いろんな人がいてはりますが、
それぞれの時代の問題を乗り越えようとした人たちもいましたもんな。

中国は特に地方に行けば、一見四面楚歌に見えるような厳しい状況で
自分を見失わず、自らの苦境を他に転嫁することなく、
日本人がすっかり忘れてしまったような粘り腰と素朴な誠実さで、
自分の仕事を進めている人たちにも、結構会うもんです。

蘇州の匠、アーテイストたちも、
本当にトップレベルの人たちは
今もいい仕事をする人たちは少なからずいらっしゃいますヨ。

彼らが全力でした仕事っていうのは
刺繍、織、家具、彫刻、書画…。
そのどれもが、なんていうか…、
おおっ…、うううむと、うなるしかない、
仕上がりの美しさ、精巧さという技術レベルを軽く超えた
神秘的とでも形容したいような奥深さを
感じさせる時があるんですワ。

えっ、そんなもんがあるのかって。
もちろん、土産もん屋さんなんかで、
値切りもんレベルばかり見てたんじゃあきませんよf^^;。

             *****

*上記「蘇州有情」 第113号より、抜粋。

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