| 知る旅、感じる旅…蘇州有情 |
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明清文化の中心、水の都蘇州は文人士大夫文化の香りを残す街。 こだわりパーソンにこそ紹介したい、こころに残る本物の旅をご提案。 |
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o○○o。..。o○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ☆ 蘇 州 有 情 ☆ 第112号 2006/3/19 http://www.china-yuyuclub.com/(蘇州悠遊倶楽部サイト) http://love-sosyu.at.webry.info/(蘇州びよりブログ) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━o。. .。o○○ 蘇州、柳の柔らかな若緑色が目にうれしい季節となりました。 中国に来てから、 日本にいるときよりもずっと早春が好きになりましたが、 市中にも木になる花々が多いこと。 それも理由のひとつのように思います。 鉢植えなどの1年草ではなく、 疎水べり、街路樹などに なにげに花ある木が植わっているところがお気に入り。 植栽は年々変わっていく。 それでも少なくとも数十年という単位で 年年歳歳行きかう人々が 学校や勤めの行き帰り、散歩の途中などにふと目にし、 木々の新芽やその花々に、新しいダイナミックな胎動を感じ、 気持ちを明るくしたことも数限りなくあったろうと思うと、 とてもいとおしいもののように感じますね。 皆様の春待ちこころは、いかようですか。。。 ==================================================================== ◆ 蘇州太湖西山に見る古代治水伝説 ==================================================================== 本日は先呉史をひもとき、蘇州太湖にまつわる歴史ロマンをひとつご紹介する。 新石器時代の末期に起こったとされる 旧約聖書でノアの箱舟で伝えられる大洪水伝説は 中国の伝説では、帝舜の命を受けた「ウ」(後、夏の開祖)が その難工事に成功した治水物語としてよく知られるところ。 上古時代の蘇州は、長江下流の海に向かって伸びる砂洲だった。 そのため洪水が来たときは若干の丘陵を残して全て埋没してしまった。 当時太湖はすでに形成されていたが、三つの丘陵に囲まれていたので 排水路が閉ざされ、太湖一帯は長らく水が引かず、大水盤のごとき状態だった。 《尚書》によれば、「ウ」は災害の状況を視察、地勢を分析し、 「三江五湖水路」の建設を打ち出したという。 (三江:松江、楼(木偏なし)江、東江。五湖:東太湖、現西山、 東山地区は5つの湖湾があった) 「ウ」はこの大工事を円滑に進めるために、 太湖の鼈山の北の小山(現、前湾山)で、 各部族の酋長を集め、分担工事を決める首長会議を開いた。 これが蘇州で開かれた最初のいわゆるサミット会議だ。 「三江五湖」が開通し、ようやくたまった水は海に引いたという。 しかし上古の時代にこんな大工事がどのようになされたのだろう。 火薬もなければ、ショベルカーや土砂を運ぶ車もなし。 全てが人力でなされたというのか。。。 《准(サンズイ偏)南子》では「ウ」は治水工事をするときには 熊に変身して仕事をするとあるが、 せめては熊にでもならなければ大変だったろう^^;)。 「愚公山を移す」は当然伝説にしても、 太湖の西の丘陵地帯の土を 東の低地に移すという案は 今から考えてもとても具体的で理にかなっている。。。 《呉郡志》には治水工事が終わってから、 「ウ」は治水方法を記したものを 西山の石室の中に隠したという。 その後春秋時代の呉王コウリョの治世の時代にその文書は発見された。 しかし判読することができず、 コウリョは家来に命じ、孔子に教えを請うた。 孔子はその文字は夏の時代の初めの文字で私もわからない。 ただ「ウ」が治水の書物を山奥深くに隠した伝説はあると答えた。 ともかくも太湖一帯の治水工事の総指揮部は西山にあったようだ。 「ウ」には有能な部下が2名おり、 一人は舜の農業大臣棄の息子で名を「婿(女偏なし)」と言い、 もう一人は民政大臣契の息子で名を「冥」と言った。 《太湖備考》によれば、「冥」は不幸にも、工事中に殉職されたようだ。 「婿(女偏なし)」は治水工事成功後、「水平王」と呼ばれたという。 西山の消夏湾には「ウ」王の廟があるが、 《太湖備考》には廟の来歴に次のような記載がある。 水平王は後棄の庶子であり、「ウ」を助け治水を行い、…人を導いた。 没してここに祭る。 「婿(女偏なし)」は治水工事が終わってから、被災民を導いて あらためて、ここに国を立て直したいと考えたようで、 各部落の首領になったようだ。 蘇州には「婿(女偏なし)」を用いた地名や事物が多い。 これらは、多くの人は呉のコウリョの時代、 数々の功績を挙げた大臣伍子「婿(女偏なし)」に 由来するものと思っているが、 実はさらに時代を遡った水平王「婿(女偏なし)」に帰するものだ。 ====================================================================
◆ 杏本淡ーanpontan ==================================================================== □さて、今年も始まってはや3ヶ月弱。 皆さんの今年の四分の一スタートはいかがですか。 私はまずまずかな。。。 ウチの仲間とは、そもそも日本人やったら、 こんなにずばり本音で突き詰めて話したらまずいだろうってぐらい、 (おそろしくて日本ではしたことないですが(*^_^*)) 率直に、すさまじく?!意見を言いあうんですが、 昨年、1年は互いにまあ根気よく^^;)言いあいました。 で、今年は相手のプラスマイナスをどこまで認め、許容しているのか、 重要なのはほんまは何なのか、 きれいごとは全部置いといて、よしあし抜きで、 まずはええ線まで確認できたんで、すっきりですワ。 何事にもタイミングと時間が必要ですよね。 去年はそれができる1年だった。 話して響く時間と事柄の積み重ねがあったってことでもあります。 で、的しぼって今年はみんなで同じ方向向いて行けるかなっていう 実感がいまのところ続いてます(^^)v。 ウチの中国人仲間のええところは、 というか、結構中国の人には少なくない傾向というのが私の実感ですが、 しこりをじとーっと日本人ほど残さない。 過ぎたことにはこだわらず、明日を見ていこうとする姿勢。 時には自分の過ちもチャラにするようで 調子よすぎじゃないと思うことはあっても^^;)、 あくなき懲りないプラス思考。 ここが基本的にとても気に入ってます。 実際、中国で過去にこだわっているとやっていけない。 文革の時代やら、その後もその尾を引いた時代の 矛盾や不公平、つぶされた夢にこだわってもしかたないんです。 もちろん、中にはそのときの「傷」が無意識のうちに出、 自分をコントロールしにくくなっている人たちもいます。 中国で学べるのは、 マイナス感情のコントロール。 そしてあきらめないことですワ(^^ゞ。 今年は一日一日、私ららしさが出せる方向を十分煮詰めて 静かにチャレンジしていきたいもんやと思います。 ***** *上記「蘇州有情」 第112号より、抜粋。 |
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